私たちは可能性を信じれているのか、信じることで生まれたその光が、向こうに見えているからこそ、人間は追い続ける事ができるのです。仮にこの先に起きるであろう難関を突破できそうにないのであれば、「私の想いがまだまだ足りないから」「私の努力がまだまだ足りないから」と謙虚に反省し、唯一の希望のその光を目指して、更なる努力と情熱を燃やす事です。困難な状況であればあるほど、私たち本人が「これをやると決めた」と信じているかどうかが問われます。夢のその先の成功を今は証明するものが何も存在しない時、心の中に信じれるもの、それは希望に満ちた信じる光、ただ一つです、その希望に満ちた光を持っていなければ、様々な障害や困難が待ち受けている時には挫折してしまうでしょう。信じるものがあれば、その道をひたすら歩み続け、一生かかってでも追い続ける、常識や世間体に惑わされることなく、ひたすら私たちの夢であるテーマに身をささげる、そうすると必ず実を結ぶものと確信しています。人間にとって「信じる」ということは希望であり、未来でもあります。希望の光を私たちは心から信じなければなりません。人に対しても同じです。裏切られ傷が深ければ深いほど人を信じることへの恐怖心が強くなります。人を信じられないということは、自分も信じてもらえなくなります。つまり夢や希望の成功を成し遂げるには、自分の力を信じることが必要であり、そう出来るよう来る日も来る日も学び努力しなければならないのです。過去から学び、今日の為に生き、未来に対して希望を持つ。何も疑問を持たず、何となく生きて、何となく明日を迎える状態にだけは陥らないようにしなければなりません。なぜなら私たちは人間であるからです。
畑古秀明