私たちが生きている意味と人生の目的とは。この最も根源的かつ究極ともいえる問いかけに、私たちはどう答えるのでしょうか。お金も必要です。そのお金の為に財産や出世を望む事も生きるエネルギーとなりますから、否定すべきものではないでしょう。しかし、どれだけ貯め込んでも、あの世へは持ち越すことはできません。その中でたった一つ滅びず持ち越せるのは「魂」ではないでしょうか。そのために現世で精神を鍛え、この世にやって来た時よりも高い次元の魂をもって現世を去り来世へいく。このことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。生きていくことは苦しいことの繰り返しで、時になぜ自分だけがこんな幼少から苦労をし、そして旅をするのかと、神や仏を恨みたくなることもあります。しかしそのような苦しき経験や、見守る側の人の想いも、魂を磨くための試練だと考える必要があるのです。魂が揺れるような出会いや感動、時には苦しみもあります。しかし苦しみの場合は己を鍛えるための絶好のチャンスなのです。その人の苦労やその見守る側の思いの試練は、人生の中での単なる機会です。それを機会ととらえることができてこそ、人間の生きる意味を知り、自身の甘えや依存を捨て、人間としての限られた人生を自分の真理として気付き生きていけるのではないでしょうか。自分以外の誰かや何かに振り回されている時には、依存の状態と無価値感があります。選択は選択肢が2つ以上ないと選択できませんが、今までと同じものをまた選び、それはある意味依存であり、結果や状況はまた同じになります。これから素晴らしい人生にする為にも、依存は捨て自分で選んで自分で決める。これが私たちが自分の人生を生き始めることだと思うのです。毎日「今日が人生最後の日かもしれない」とそう悔いなく考え生きることができれば、その考えが正しいとわかる日がいつか必ず私たちにもやってくるのです。
畑古 秀明