長生きしてね

お母さんお父さん 長生きしてね。


いまだに、忘れられない出来事があります。
 
私の父は、戦争前に沖縄から北九州に出てきました。戦争が始まって帰るに帰られなくなってしまったのです。

 
だんだんと日本は追い詰められ、とうとう沖縄に米軍が上陸、占領されて多くの市民は玉砕の悲劇にあいました。

 

父は、家族との音信がまったく途絶え、両親家族ともども、亡くなったと観念しました。

 

しかし、諦めきれずに、つてを頼りに戦後の消息をたずねていると、数年たって生きていることが分かったのです。

父と母は、私を連れて母の郷里の鹿児島から船で、沖縄へと渡りました。そして、生きて家族と再会し、涙とともに肩を抱き合って喜んだのです。
 

 父は北九州では、化学工場の守衛勤務でした。2軒長屋の社宅で私は、二人の弟と男3人兄弟で育ちました。
 

 決して裕福ではありませんでしたが、近所の子供たちと毎日暗くなるまで遊んでました。子供たちには厳しい父親で、剣道師範の竹刀でしょっちゅう叩かれていました。
 

 当時から、趣味で菊づくりをしていましたが、何度も菊花展で表彰されていました。いまだに菊づくりは続いていて、菊花連の会長を務めています。
 

 私は、小遣い稼ぎに小学校6年のとき、新聞配達を始めました。そのせいか、校内マラソン大会で一等になり、中学に入ってからも駅伝部で走っていました。
 

 ひとつのことを、とことんやる性格は親父ゆづりで、今でもまだ、マラソンをやってます。
 

 真一文字な性格で、やり出したらその道一本で、まあ不器用ということですかね。

親方